公益社団法人 全国国民健康保険診療施設協議会
田辺 大起さん(理学療法士/日南町国民健康保険 日南病院 リハビリテーション科科長)
山間の過疎地域で、住民が暮らし続けるための訪問リハビリテーションを実践
鳥取県日南町は高齢化率が54.6%、過疎が進む山間の町。田辺大起さんは、町内唯一の病院である日南町国民健康保険日南病院の理学療法士。「町は大きなホスピタル」という病院の理念のもとで、訪問リハビリテーションを行ってきた。一人暮らしの高齢者や老老介護が増えるなかで、障害があっても自宅で暮らし続けることができることをめざす活動は、利用者だけでなく町全体を元気にできる在宅医療の真髄と語る。
さまざまな職業を経て理学療法士に転身、実家のある山間部の病院に就職
――陸上自衛隊に勤めていたという異色のご経歴ですが、どうして理学療法士になられたのですか。
田辺 高校卒業後に陸上自衛隊に入隊しました。任期満了で退職した時、遺伝子組み換え食品とかバイオテクノロジーが話題になっていたこともあり、東京にある関係の専門学校に入学しました。卒業後、その道に進もうと考えていたのですが実際には就職先がなく、派遣職員として生命工学系研究助手などもしながら、イベントスタッフや住み込みの工事現場などいろいろな職業を経験しました。そうしたなかデイサービスで働くうちに、高齢の人の状態が悪くなっていくのを見てなにか役に立てることはないかと思うようになり、そのためには専門的な知識や技術が必要と考えるようになりました。バイオテクノロジーの知識もあったので医療職になろうと決心し、地元の鳥取県で理学療法士の専門学校に通い、卒業後に実家のある町の日南病院に勤めることになりました。
──理学療法士としては、一貫して日南病院にお勤めですね。日南町はどういうところですか。
田辺 鳥取県の山間部にある過疎の町で、人口が4,000人弱、高齢化率が54.6%です。山深い地域で農業に根ざした産業が主体です。日南病院は町内で唯一の入院できる医療機関で一般病床59床、医療療養型40床という規模です。
訪問を通じて住民の暮らしを支え、町を元気にする
――医療資源が少ない状況では在宅医療、在宅ケアは重要になりますね。
田辺 そうなんです。以前から日南病院は「町は大きなホスピタル」という理念を掲げていました。つまり、町内の道は病院の廊下、ご自宅は病室という考え方で、在宅医療にも力を入れていました。ただ、これまでは往診や訪問看護、訪問リハビリテーションで支えることができた人が、過疎化とともに老老介護や単身世帯が増えていくなかで家で1人ではいられないという現象が起きています。日南病院でも通所サービスや地域包括ケア病床を開設したりと対策を考えながら取り組んでいるところですが、医療だけでは支えきれないという実感があります。
――日南病院では訪問リハビリテーションを行っていますが、田辺さんが入職した時にはすでに行われていたのですか。
田辺 私が入職した時、リハビリテーション科は理学療法士が2人しかいなかったので入院や外来の隙間に数件訪問する程度でした。しかし、どうしても訪問リハビリテーションを一つの部門として立ち上げたいと思い、療法士の増員を機に私がメインの担当者となりました。
――訪問リハビリテーションといっても、都会で行っているものとは状況が随分違うのですか。
田辺 例えばこんなことがありました。あるパーキンソン病の利用者はすぐに転んでしまうのですが、すこしでも散歩がしたいという希望がありました。その人は戦後まもなく自分の山を買われてすごく大切にしてきたということを聞いて、一緒に山に行きましょうと誘い、山まで行って歩く練習をしました。すると不思議なことに、山では転ばないのです。練習を続けるうちに体力がついてきて平地でも転ばないようになりました。別の例では、釣りの好きな人が車椅子を使うようになって川まで行けなくなってしまいました。そこで、川辺までたどり着ける方法を一緒に考え、川辺まで行く道の草刈りや整地をしたところ、車椅子でも川べりまで行くことができ、実際に釣りができたということもありました。都会の病院でこんなことをしていると怒られてしまうのかもしれませんが、「町は大きなホスピタル」という理念があるので許されました。こうした活動を続けるうちに在宅ケアは面白いと思うようになりました。
――山間部特有のリハビリテーションへのニーズはあるのですか。
田辺 町にはスーパーが1軒しかないので、買い物をするにはそこまで行く必要がありますが、そこまでの移動が難しくなっています。奥に住まわれている方は車で片道30分もかかるのですが、若い人が減って付き添うことができないので自分で行かなくてはならないし、重い荷物を持って帰ってこなければなりません。ここでの暮らしを続けていくには移動能力を保っていくことが重要だと気が付きました。そこで、「買い物ツアー」をセッティングして買い物をしやすい環境を作るだけでなく、私もついていって実際の歩きぶりなどをみてリハビリテーションに生かしました。買い物ツアーの後には食事会を行うことがありますが、そこでは飲み込みの状況を確認したりということもしています。
――介護予防ですね。
田辺 住民の方と顔が見える関係性を築けるといろいろな相談を受けるようにもなって、診察を受けたほうがいい場合はそのように勧めますし、そこまでではない場合は健康や予防に関する情報を伝えたりしています。もちろん地域包括支援センターや社会福祉協議会とも連携しながら活動しています。
――理学療法士としてはとても幅の広い活動をされているように思います。
田辺 理学療法士の専門性というと、基本的な身体機能をみることができることにありますが、それはリハビリテーションのなかの一部だと思っています。ここでは住民に近いこともあるので、医療的な狭い意味での理学療法士の活動よりもさらに広く、ノーマライゼーションやリハビリテーションの理念に向かって活動できることがやりがいというか、楽しみです。
ある時、三味線や安来節の師匠をしていた人が片麻痺になってしまい、三味線が弾けなくなり、声を出しづらいというので訪問リハビリテーションで関わるようになりました。ご自身はもう師匠として教えられないと言って家の中に閉じこもるような生活で、お弟子さんは来なくなりました。私は、訪問リハビリテーションとして足漕ぎ車椅子を提案して家の周囲で練習をしていただきました。次第に練習の成果が出てきて足漕ぎ車椅子で集落を一回り移動できるようになってくると、近所のお弟子さんがその様子を見て「師匠が元気になった」と、また家に来るようになったのです。お弟子さんが集まるようになると、少しずつ指導をするようになって、だんだんご自身も唄えるようになって、ついに町の文化祭で安来節を唄いました。ステージ上を歩くのを私もお手伝いして、見事に歌われた時はとても嬉しかったです。専門職としてのやりがいを感じました。
日南町は小さな町でインフラが整っていない面もあるので、歩けなくなったら、障害を負ってしまったら人生はおしまいという気持ちになって、周囲も暗い雰囲気になってしまうことがありますが、この人は町民に勇気を与えたというか、日南町を元気にしたのではないかと思います。年老いていくのは自然なことで、障害を負うこともある、それでもどうやって豊かに生きていくかを専門職としてアシストして地域が元気になっていく、そういうことを積み重ねていくのが地域医療や在宅医療の真髄ではないかと思います。
一人職場の療法士のためにネットワークづくりにも注力
――現在の日南病院リハビリテーション科の陣容はどのようになりましたか。
田辺 順調に増員していただいて、現在は私も含めて13人体制です。言語聴覚士1人、作業療法士3人、理学療法士8人、助手1名が所属しています。
――大きな組織になって、訪問だけでなく外来や病棟、通所リハ等もあるので、担当制をひいているのですか。
田辺 そうですね。私は科長の仕事もあるので主に院内で外来を中心にみています。訪問が好きなのですが、仕方がないですね。以前は、訪問リハビリテーションをしているとわりと元気な時から亡くなる時までずっと担当することができたのですが、スタッフの人数が増えて役割分担をしていくと、1人の療法士がある利用者を一貫してみていくことがしづらくなってきて、若い療法士には申し訳なく思っています。私自身が療法士として一貫して最期まで関わった経験はとても大きいと感じています。先にお話したパーキンソン病の人は、死の床につかれた際に山で歩く練習をした時の写真を傍らにおいて過ごされ、亡くなった時には家族がその写真を棺桶に入れてくださったそうです。その話を聞いて、あの時の取り組みは良かったんだと改めて実感しました。長く関わる間には利用者や家族からフィードバックがあるものですし、専門職としてはそれが次の利用者に関わる際の糧になります。
――日南病院のリハビリテーション科は病院の規模に比して陣容が充実しているようですが、全国国民健康保険診療施設協議会(国診協)のリハビリテーション部会の部会長として全国的に見るとどうでしょうか。
田辺 国保直診施設は診療所が多く、まだまだ少人数の職場が多いのが実情です。国保直診の施設には過疎地域にあるところも多く、人材確保は重要な課題の一つです。1人職場では自分だけですべてをこなさなくてはいけないので苦労したり、負担を感じる療法士も多いのが実情です。そこで、療法士で交流を図ってネットワークづくりをしたいと考えています。また、職場の規模の小ささや地域的な問題から人材確保も容易ではありません。こうしたことをリハビリテーション部会としてバックアップができればと、次の全国国保地域医療学会では交流できるブースをつくって仲間づくりミーティングを計画しています。そこでは、地域医療の楽しさを押し出していきたいですね。国診協の元会長の山口昇先生が初めて地域包括ケアを提唱されたのですが、私たちはその理念を受け継いでいます。国保直診は行政と一体となって住民の健康問題に対応することになっているので民間の医療機関よりも地域リハビリテーションをやりやすい環境にあります。そこをもっとアピールして人材確保につなげたいですね。
――ネットワークづくりや人材確保に関してアイデアはあるのですか。
田辺 ICTの活用できる人材を育てていきたいと考えています。医療職にICTに明るい人材は多くない一方で、療法士は利用者と比較的長時間一対一で接することが多い職種です。将来的にはオンライン診療のセッティングとか、利用者さんのネットを使った買い物の手助けとか、ICTの知識があればさまざまなところで役に立つでしょう。実際に、近隣の医療機関同士で情報共有のプラットフォームとして写真や動画に特化した在宅医療で使える情報共有アプリの開発もしていますし、離れたところにある大学病院と心臓リハビリテーションの取り組みもしています。国保直診のあるような地域では地理的にも時間的にもいろいろな意味で制約が生じやすいですが、それを埋めるのにICTが役に立てばと思いますし、工夫次第では僻地にあっても先進的な取り組みができるということをアピールしたいですね。
趣味で始めたプログラミングで業務支援アプリを開発
――プライベートなこともお聞きしたいのですが、仕事を離れて楽しんでいることはどんなことでしょう。
田辺 休日はロードバイクに乗ったり、プログラミングをして過ごしています。
――自転車ですね。どのくらい走るのですか。
田辺 そうです、自転車です。100kmくらいは走りますね。グルメライドと称して仲間と美味しいものを食べに行ったりしています。
――体力は昔取った杵柄というところですね。
田辺 そこは大事ですね。家から職場まで40kmくらいあるのですが、たまに自転車で通勤しています。
――40kmといっても平坦な道でばかりではないですよね。
田辺 土地がら山道なので、獲得標高が700mくらいになります。まあ、私も年をとってきたので昔ほどではないですが、ぼちぼち楽しんでいます。
――先ほど、アプリ開発のお話がありましたが、プログミングはどのようなものをしているのですか。
田辺 AIの開発やデータ分析などにも強いPythonというプログラミング言語を仕事にも役立つと思い勉強しています。最近では、インシデント報告アプリや、地域包括ケア病床における看護必要度やリハの平均実施単位数、在宅復帰率などの各種要件を一覧で確認できるダッシュボードアプリを開発し現在当院で稼働しています。国診協で行ったモデル事業では「ご近所食事会支援アプリ」というのも開発しました。買い物困難者や孤立しがちな高齢者の孤食を防ぎ、フレイルを予防するという事業だったのですが、その一環として医療職監修のレシピ集を目的や調理時間で検索できるアプリで、誰でも使うことができます。
JHHCAでの活動はとても刺激的
――日本在宅ケアアライアンスにも参加されているそうですね。望むことはありますか。
田辺 学術委員会に所属させていただいています。そこでは、業務執行理事の飯島勝矢先生を中心に月に1回論文のレビューをしています。いろいろな団体からさまざまな職種の方がプレゼンテーションをされて、もちろん私もさせていただきましたが、とても刺激的で楽しいです。こんな貴重なお話を私だけが聞くのはもったいないので、国診協で議論して若手の医師も一緒に参加することにさせていただきました。在宅ケアは個別性が高いので条件設定が難しく、不安定なために量的研究がしにくいので、エビデンスをどうやってつくっていくのかが大きな課題です。楽しさの発信と学術的な積み重ね、仲間づくりを日本在宅ケアアライアンスには期待しています。