特定非営利活動法人 日本ホスピス・在宅ケア研究会
豊國剛大さん
医師/三和クリニック院長
【PROFILE】
とよくに・たけひろ
2005年、滋賀医科大学卒業。2007年まで神戸大学医学部附属病院で初期研修の後、市立加西病院に勤務し、2009年から2015年まで神戸大学医学部附属病院総合内科(のちに助教)。神戸ほくと病院を経て、2016年に長尾クリニックに入職。2019年、同院副院長、2022年から院長(2023年から三和クリニック)。神戸大学非常勤講師、尼崎市医師会地域包括ケア・勤務医委員会副委員長、日本ホスピスケア研究会評議員、日本在宅ケアアライアンス学術委員、日本尊厳死協会関西支部理事などを務める。
「町医者」の魅力は患者・家族を笑顔にできること

もともと地域医療を志していた豊國剛大さん。医学部卒業後は大学病院で総合診療を学び、満を持して兵庫県尼崎市の下町のクリニックに入職しました。在宅医療で患者や家族の笑顔に触れた経験から、最期まで自分らしく暮らし続けるために生活を支えること、病気になっても、一人暮らしでも、過ごしたい場所で最期まで過ごせる地域にすることを目標としています。
「町医者」に憧れ総合診療、地域医療へ
――院長をお務めの三和クリニックは以前、在宅医療で著名な長尾和宏先生が開設された長尾クリニックでした。
豊國 大学病院などで総合診療に従事したあと、2016年に長尾クリニックに入職しました。2022年に長尾先生が65歳で退職するということになり、副院長だった私が院長を引き継ぐことになりました。2023年から三和クリニックとなりましたが、施設や人員は長尾クリニックを引き継いでいます。
──以前から在宅医療に関心があったのですか。
豊國 私は兵庫県神崎郡という山間の地で育ちました。川崎病もあって定期的に通院していた経験から医師になりたいという夢を持ちました。通っていた診療所では、子どもや高齢者を丁寧に診ている医師がよく見えて、そうした「町医者」に憧れるようになり、滋賀医科大学に進みました。
──大学ではどのような方向に進まれたのですか。
豊國 5年生のときに、神戸大学の総合内科に見学に行くと、患者さんを病気ではなく人としてみることが大事と教わり、自分が目指している医師の姿とマッチしていると感じました。そこで、卒業後に神戸大学医学部附属病院で初期研修を行い、その後総合内科に入局しました。将来的には「町医者」を志していましたが、一方で、大学病院で最新の医学や治療を学んでおくことも重要と考えていましたし、教育にも関心があったので大学病院や総合内科はそういった意味でも自分にあっていました。
──高度急性期医療にも携わったのですか。
豊國 総合内科では集中治療も行っていたので最新の治療などを経験できました。重症患者をICUで治療することで命が助かり社会復帰していく人がいるのでとてもやりがいを感じましたが、なかには最後までこのような医療を続けていくことが本当にいいことなのかと疑問に感じる患者さんもいました。そうしている間に地域の診療所で「町医者」として働きたいと思うようになり、長尾クリニックに入職することになったのです。
──在宅医療を実践するために長尾クリニックに入られたのですね。
豊國 必ずしもそういうことではなかったのです。長尾先生の考え方は本などを読んで知っていて共感するところがありました。ただ、私のなかの「町医者」のイメージは外来で診療をする姿でしたし、長尾クリニックには常勤医師が5人もいて、在宅医療だけでなく、内視鏡やCTなどを使った外来診療や健康診断などを行っているので、地域の診療所で働くというイメージで入職しました。特に訪問診療をやろうと思っていたわけではないのです。
恩師・患者からの学びを次に伝える「恩送り」
──実際に在宅医療に取り組むようになって、考えは変わりましたか。
豊國 2016年に入職して初めて在宅医療に関わり、長尾先生といっしょに在宅の患者さんを訪問したときに、在宅の患者さんは笑顔の人が多いと感じました。病院では、具合が悪くて入院しているので当然と言えばそうですが笑顔の人はあまりいません。それが家で生活をしている人には笑顔が多い。家族にしても、病院では看取りのときに涙することが普通ですが、在宅では寂しい、悲しいという一方で、本人の想いに最期まで寄り添えたことなどによる笑顔があります。そんな患者さんたちの姿を見て、このような最期に自分が関わるのはとてもやりがいがあると感じました。病院の医療とは違う良さがあると思ったのです。
──三和クリニックは診療所としては規模が大きいですね。
豊國 長尾先生が実現されたものですが、常勤の医師が多いので外来診療と在宅医療を並行してしっかりやれますし、訪問看護ステーションや居宅介護支援事業所を併設しているので、顔の見える関係でチーム医療が行いやすいです。病気の予防や早期発見をして、病気になれば外来でしっかり治療をし、外来に通えなくなり支えることが必要になったら在宅医療を提供することができます。そのまま在宅で看取りをすることも可能です。現在、居宅に訪問している患者さんが約280名、施設に訪問している患者さんが約220名で合わせて500名くらいに訪問しており、看取りは年間120〜160件くらいです。患者さんのなかには家族ぐるみでかかっていらっしゃる方もいて、親が当院にかかる姿を見ていたので、自分が在宅医療を受けよう思ったときに当院を選んでもらえるということもあります。最期まで自分らしく暮らし続けるための生活を支えること、また、病気になっても、一人暮らしでも、過ごしたい場所で最期まで過ごせる地域にすることを目標としています。
──院長を引き受けられたときはプレッシャーもあったのでは。
豊國 正直に言ってありました。院長が変わることで院内の体制が変わるので、それを新しく作り上げていくことは大変です。しかし、スタッフは以前と変わらず熱い気持ちを持って良い医療に取り組んでくれていますし、私はそれをつなげていきたいと思います。話は違いますが、私の好きな言葉に「恩送り」があります。恩返しというと恩を受けた人に直接返すということですが、現実には難しい場合もあります。私は、多くの先輩や同僚、患者さんから教えていただいた大事なことを次の人に送っていくこと、伝えていくことをしていきたいと考えています。

医師会と行政の連携が特徴の尼崎市
──ところで、尼崎市というと大阪市や神戸市などとも近いですが、下町といった印象があります。
豊國 市内で地域差はありますが、クリニックがある地域はどちらかというと昔から住んでいらっしゃる方が多い、下町の雰囲気を今も残しています。熱烈な阪神ファンが多いのでシーズンが開幕したとたん「マジック143」(笑)と表示される商店街が近くにあります。
──この地域の在宅ケアの取り組みにはどのようなことがありますか。
豊國 尼崎医師会では、市の行政と協力して「尼崎市医療・介護連携支援センター“あまつなぎ”」を開設し、在宅医療に関する相談窓口、退院調整の支援、在宅医療・介護資源の把握、多職種・多機関間の連携推進、専門職への研修、市民への啓発といった活動を展開しています。このおかげで、行政や病院と医師会、在宅医療がつながる機会がとても多くなっています。行政と医師会が一体となって地域医療の活動をしているのが特徴的で、厚生労働省主催の2020年度の「在宅医療・介護連携推進に向けた研修会」で参考事例として報告されました。
私は尼崎医師会の地域包括ケア・勤務医委員会の副委員長をしていますが、病院の管理者や開業医が参加して地域医療の現状を共有し今後の取り組みについて議論しています。行政からも出席して意見交換をします。医師会や行政が連携しながら事業を展開しているのは尼崎市の特徴といえます。
また、地域包括ケア・勤務医委員会のなかに在宅医療部会をつくり、在宅医療介護塾という研修会を企画しています。医師や看護師などの医療職だけでなく、介護職、ケアマネジャー向けの研修会を開催しています。
──医師会をハブに市内で在宅ケアに従事する方の多くが顔見知りになりますね。
豊國 そうですね。ただ、近隣の大阪市や西宮市のクリニックや事業所から訪問する場合もあります。他地域の事業所の人と集まって何かをするというのは現実には難しく、今後の課題です。
ホスピスマインドを再評価したい
──日本ホスピス・在宅ケア研究会の評議員を務めていらっしゃいます。
豊國 本会は、1992年に発足した、終末期の医療とケア・在宅福祉サービスと看護・医療の問題を医療従事者・社会福祉従事者・市民・患者のみなさんが、同じ立場で対等の立場で語り合いながら、共に考え、互いに学び、高め合っていく場です。専門職も市民も同じ立場というのを強く意識していて、たとえば医師に対しては「先生」と呼ばずにさん付けにしています。会議や研修会も同様にしているのは本会の特徴ではないでしょうか。
年に1回の全国大会以外に、教育セミナーや地域での取り組みを紹介する実践シンポジウムなどを定期的に開催しています。さらに、災害支援にも積極的に取り組んでいます。
──今年度は大会長として大阪で開催するそうですね。
豊國 「第32回日本ホスピス在宅ケア研究会 全国大会 in なにわ」として、10月11日(土)・12日(日)の2日間、大阪コロナホテルで開催します。大会長として準備の最中です。(※)
──企画にあたってどのようなことを考えていますか。
豊國 私自身、現場でさまざまな患者さんや医療介護関係の方々と関わったり、あるいは所属する組織が大きくなっていくのを感じたりするなかで、ホスピスマインドの大切さを改めて再認識しています。超高齢社会、多死社会では、地域全体で支援体制を整えること、地域住民がお互いに気にかけたりつながりあっていくこと、患者さんや家族と支援する私たちも共に支えあえる地域づくりをすることが大切と認識していますが、その一方で地域住民の関係性が希薄になっており課題も多いのが現実です。私自身、在宅医療をするなかでどんな人でも住み慣れた地域で過ごせるようにしたいし、そのために患者さんを支えたり、それが難しくても寄り添うことはできるといった気持ちが在宅医には必要だと思っています。そうした意味で、ホスピスマインドを改めて見直すことで、地域のみんながどのように取り組んでいけるのか、参加者と一緒に考える大会にしたいと企画・準備を進めているところです。
──具体的にはどのようなプログラムになりそうですか。
豊國 正面からホスピスマインドを取り上げた「ホスピスマインドとは?」、在宅医療の将来像を議論する「在宅医療の今までこれから」、「退院支援や地域連携のあり方」といった勉強になるプログラムなどを考えています。また、大阪らしく「在宅医療の闇と影 〜そこに光はあるんか」などというタイトルで、在宅医療の本音を語り合う機会を設ける予定です。現実の在宅医療には良い面もありますが、良くないところもある。そうしたことも包み隠さず、一歩踏み込んで本音で話し合いたいと思います。
(※)
大会名:第32回日本ホスピス在宅ケア研究会 全国大会 in なにわ
日 時:2025年10月11日(土)〜12日(日)
大会長:豊國剛大 三和クリニック院長
テーマ:地域のつながりで大事なもんってなんやろ?
〜なにわで、本音で語ろうや〜
会 場:大阪コロナホテル
医師は病院と在宅をもっと柔軟に
──日本在宅ケアアライアンスには学術委員として関わっていらっしゃいますが、アライアンスへの提言や要望などはありますか。
豊國 以前に比べて在宅医療が広まっているなかで、質を評価してどう高めていくかということは大切です。学術委員会でそうした問題を議論していますが、日本在宅ケアアライアンスに関わる人はそもそも高いモチベーションで在宅医療・ケアを展開されている方なんですね。しかし現実には、制度に則ってさえいればいいと質をあまり考慮していない在宅医療・ケアもあるので、そうした人たちに質向上への意識をどう広げていくかが課題です。
また、最近在宅医療を始める医師が増えてきていますが、研修などを受けずに、開業してはじめて在宅医療に向き合う医師も多いようです。そうした医師が開業前に在宅医療を学べる場があるといいですね。質の高い在宅医療を学んだうえで始めるのです。さらにいうと、病院の医師の多くは在宅医療を知りません。これからは病院医療と在宅医療の溝を埋めていくことも大事です。医師のキャリアのなかで、地域で働いていた医師が病院に戻ったり、あるいはその逆があったりということがあってもいいと思うのです。医学教育とか、研修システムといった問題になりますが、そうした点でも日本在宅ケアアライアンスにはできることがあるのではないかと期待しています。
人情味溢れる地域で笑顔で暮らしてもらいたい
──毎日、診療にクリニック経営に大会準備にとお忙しいことと思いますが、日頃の息抜きはどういったことですか。
豊國 野球が好きで阪神ファンです。ここから近いので、甲子園球場に観戦に行くのがストレス解消になります。また、最近息子が野球を始めたので、彼の試合を見に行くことも楽しみです。
──患者さんにも阪神ファンが多そうですね。
豊國 ファンの患者さんと話をすると盛り上がってしまい、診察時間が長くなってしまうことがありますね。在宅に訪問するとポスターとか飾ってあって話題にこと欠きません。尼崎のこの地域の人情味溢れる文化みたいなものに医療人として触れることができるのは幸せです。ただ、まれに巨人ファンの患者さんもいるので慎重さは必要です(笑)。
──最後に、クリニックを運営していくにあたって大事にしていることをお聞かせください。
豊國 以前からこのクリニックで大事にしていることなのですが、私は患者さんを笑顔にすることを大切にしています。笑顔になるということは、不安や、痛み、辛さといったネガティブな部分が少なくなっているからだと思いますが、それにプラスして生きがいなどのポジティブな部分を持ってもらえればさらに笑顔になれます。私たちは医療者として患者さんのネガティブな部分をケアしていくことはもちろんですが、ポジティブな部分を支えたり叶えたりすることで、笑顔になって過ごしていただきたいと思っています。

取材・文/坂弘康