第11回 |
一般社団法人
全国ホームホスピス協会
仁木理恵子さん・看護師、保健師
特定非営利活動法人ホームホスピス神戸なごみの家・夢野
【PROFILE】
にき・りえこ
2010年、旭川医科大学医学部看護学科を卒業。看護師、保健師資格を取得。看護師として小樽の療養型病院で7年勤務。その間にホームホスピスの活動を知り、2017年から特定非営利活動法人ホームホスピス神戸なごみの家で看護師として勤務。
看護学生時代から在宅ケアに関心があったが、大学卒業後は療養型病院に勤務。次第に在宅ケアへのあこがれが大きくなるなかで、テレビで見たホームホスピスで働きたいと転職を決意。全国ホームホスピス協会会員施設のホームホスピス神戸なごみの家に就職し、理念である「とも暮らし」の素晴らしさを実感する。
――全国ホームホスピス協会会員のホームホスピス神戸なごみの家に看護師としてお勤めの仁木さんですが、まず在宅ケアを目指したきっかけからお聞かせください。
仁木 昔から高齢者のことが好きだったので、大学で看護を学んでいたときは、老年看護学や地域看護学に興味を持ちました。選択科目で選んだ老年看護学の授業で東京の山谷にある「きぼうのいえ」を紹介するテレビ番組を見る機会がありました。そこは、いわゆるドヤ街にある在宅ホスピス対応型集合住宅といわれるところで、身寄りのない人が在宅ホスピスを受けられるアパートといったところです。番組を見て、病院でも施設でもなく普通に暮らしている、でもそこに医療従事者がいる、そういった場があることを知って魅力的に感じて働きたいと思いました。
――卒業後、就職する際にそうした施設を希望したのですか。
仁木 実際に就職する時になると住む場所などのこともあり実現しなかったのですが、将来的にはそうした方向性を念頭に置いて療養型病院に就職しました。
――看護学生は急性期病院を希望する人が多いイメージがありますが、大学卒業後すぐに療養型病院に就職するケースは少ないのでは。
仁木 そうですね。学生時代は外科とか救急に行くと看護の勉強になると言われましたし、就職した療養型病院も新卒を採用するのは初めてでした。また、訪問看護や在宅ケアにも興味があったので正直少し迷いましたが、一度は病院で働きたいという思いもありそこに決めました。療養型なので、急性期病院で経験するような看護のキツさはあまりありませんでしたが、丁寧に指導してもらいました。
――それがどうして転職することになったのですか。
仁木 療養型病院は病気を治療して治すという一般病院の機能とは異なります。また、施設や在宅のように暮らしを整えるといったケアも、自分の未熟さもあってできず、次第に辛くなってしまって……。それで転職を考えました。
――転職に際してはどのようなところを希望されたのですか。
仁木 たまたま家でテレビを見ていたときに、宮崎県の「ホームホスピスかあさんの家」のドキュメント番組を放送していました。ホームホスピスとは全国ホームホスピス協会理事長の市原美穂さんがつくった「住み慣れた地域で、なじみの人達に囲まれて“その人らしく”人生をまっとうすることを望む方々のための、施設でもなく自宅でもないもう一つの『居場所』」なのですが、それを知って、次の就職先はホームホスピスで探しました。
――ホームホスピスのどこに惹かれたのでしょうか。在宅ケアだと、訪問看護など看護師の職場はほかにもありますが。
仁木 私の勉強不足もあるのですが、訪問看護だと決められた時間だけ訪問してケアをするというイメージがありました。実際には柔軟な対応もできるということを後で知りましたが、当時の私は、もっと長い時間、利用者と一緒にいるというか、ホームホスピスで行われている普通の民家に利用者も自分も一緒にいるケアにあこがれました。それで探してみると、ホームホスピスでも訪問看護としての求人しかなかったり、日勤だけというところが多いなかで、ホームホスピス神戸なごみの家は看護師も介護職も関係なく日勤や当直といったシフトがあることが私の希望にあっていたので決めました。
――全国ホームホスピス協会のいうホームホスピスは、一般的な在宅ホスピスケアや緩和ケアとは異なる特徴があるようですね。
仁木 ホスピスというと看取りと思われがちですが、協会のいうホスピスはホスピタリティを意味しています。おもてなしとでもいうのでしょうか。病気や障害などによって自宅での生活にしづらさや困難があるけれど、家にいるのと同じように暮らしたい人のための「第二の我が家」がホームホスピスです。もともと民家だったところに入居していただき、私たちスタッフが常駐して困難さを手助けしながら生活していく「とも暮らし」を理念としています。入居者にはがんや難病の方が多いですが、病気や障害、年齢に関係なく、自宅での生活に困っている人のための場所です。高齢の人が多いのは確かですが、なかには若い人もいらっしゃいます。
――数人の生活に支障のある人が1軒の家に一緒に暮らしていて、スタッフからケアを受けているということでしょうか。
仁木 ここホームホスピス神戸なごみの家・夢野には最大7人の入居者がいます。私たちスタッフは業務員2名、ケアスタッフ4~5名で日勤・当直のシフトをつくって24時間体制でケアをしています。業務員はおもに食事づくりや買い物など間接的な業務を行いますが、入居者と一緒に料理をしたり、場合によっては介助に携わることもあります。私たちケアスタッフはおもに食事介助や排泄介助などの身体介護を提供したり、睡眠や活動も含めた生活全体を整えます。私のように看護師資格を持つ専門職が必要に応じて褥瘡の処置といった医療的ケアなども行いながら日常生活の支援をしますが、常駐しているスタッフは職種によって分担しているというより入居者のできないところを可能な範囲で代行するという考え方です。私たちができないところは入居者や家族がお互いに助け合うので誰が何をするという区別はあまりありません。しかし、これは単にハウスキーパーや家政婦が生活のお手伝いをしているというのとは違います。専門的なアセスメントに基づいてケアのあり方を本人や他のスタッフたちと相談することで、自分の家では暮らせない人でも普通の暮らしができるのです。また、ここは社会や地域のなかの普通の家なので、地域の医師や薬剤師、訪問看護、デイサービスといった方々との連携も大事にしていますし、ご家族や友人なども自由に訪れることができます。ご家族が積極的に看取りにかかわったこともありました。さまざまな人と連携しながら入居者の暮らしを支えていく、そこに看護師の自分が一緒に暮らしているということです。私たちは専門職としてのケアもしますが、冷蔵庫が壊れたときにどうするかとか、建付けが悪い戸を直したりといったごく普通の家の困りごとにも皆で対応します。
――日常生活を一緒に過ごすなかに看護師という専門職がいる意義はどういうものでしょうか。
仁木 私たちの法人では看護職も介護職も同じように研修をしているのですが、看護理論のなかの金井一薫さん(ナイチンゲール看護研究所所長)の提唱する「KOMIケア理論」をケアの物差しとしてアセスメントなどに役立てています。私が担当している方で、小脳脊髄変性症で運動失調があり、尿閉のために膀胱留置カテーテルをいれている、要介護度5の方がいらっしゃいます。それでも、自分で立ったり座ったりができて、手には少し振戦(ふるえ)がありますがご飯を食べることもできます。認知症はありますが、普通に会話はできます。身体的な症状は全体的には落ち着いていて、他人と一緒にいると「お花がきれいね」とか、私が夜勤をしていると「そんなに遅くまで仕事をしなくていいから」と言ってくれたり、私が前に出したおやつを「食べなさい」と言って返してくれるような感性や思いやりのある人です。ある時、カテーテルを入れているためか「トイレに行きたい」と頻繁に言うようになりました。そうすると私たちは何度もトイレにつれていく一方で、カテーテルはどうなっているかとか、排尿トラブルはないかといったことに目がいきがちでした。でも、KOMIケア理論を使ってアセスメントしてみると、状態は安定しているのだから訴えとか症状に振り回されるのではなくて、その人がどのように暮らしていきたいのか、もっている力をどのようにしたら発揮できるのかを考えて、望むような暮らしができるために、私たちが生活環境を整えたり働きかけたりすることの必要性に思い当たりました。実は「退屈していて寂しさを感じているのかもしれない」と意見をもらい、できるだけ私たちから話しかけたり一緒にご飯やおやつを食べたり、外を眺めたりテレビを見てああでもないこうでもないと言い合ったりして、一緒に楽しく笑って過ごす時間を増やすように努めると、気持ちが落ち着くのかソワソワしてトイレを訴えることが少なくなっていきました。また、たくさん飲んだり食べたりすることで尿量が増えてカテーテルのリスクも減るし、お通じもしっかりでる。起きている時間が長くなってベッドで一人で寝ている時間が少なくなることにもつながりました。
――学生時代に考えていた高齢者と一緒に暮らすという希望がかなったわけですが、実際に仕事としてかかわってイメージと違ったことはありますか。
仁木 以前は一緒に暮らすと楽しいだろうといったくらいのイメージでしたが、普通の暮らしには入居者同士の喧嘩とかいろいろな事件が起きたり、楽しいことばかりではありません。また、最後は看取りになりますが、そこにいたるまでに長く一緒に暮らしていると、本人の痛みや辛さ、ストレスとも長く一緒に寄り添うことになります。それ抜きに生活はないわけですから、「とも暮らし」というのは楽しいことだけではなくて大変なんだということがよくわかりました。
――具体的にはどういうことでしょう?
仁木 看取りの段階になると家族や医師ともお話をしながら、最期まで穏やかに過ごせることを目標にするのですが、あるがんの入居者の場合、疼痛はコントロールできていたのに、寂しさや気持ちの落ち着かなさといったことがあったのでしょう、せん妄状態になってしまい、夜中じゅう眠れなくて自分の母親を大声で呼ぶようになりました。スタッフがそばにいると落ち着くのですが離れるとすぐに叫ぶようになり、次第に一緒にいても叫び続けるようになって、なんとかしなくてはいけないと思っても薬ではどうにもならない。私たちとしてはその辛さを受け止めるしかありません。でも、受け止めきれないのです。一緒にいるのが辛くなってくる。どうしたらいいのだろうと、スタッフみんなでカンファレンスをしました。そして、一人のスタッフが付いているのではなくシフトを交代しながらチームで支えていくようにしたり、その方は家族がそばにいると比較的落ち着くので家族の方もチームの一員として寄り添ってもらうようにお願いするなどしましたが、家族もずっと一緒にいるとしんどくなるので、スタッフと連携しながら少しでも楽になるように考えながら続けていきました。このときは最期まで一緒に暮らすのは本当に大変なことだと思いました。
――そういった辛さとか、メンタル面の対処を仁木さんご自身はどうしているのですか。
仁木 まずはスタッフ同士で話をします。こんなことがあって大変だったとか、少し愚痴を言ったりとか。また、私たちはシフト交替がありますから、オン・オフをしっかり切り替えることですね。オフは、趣味はあまりないのですが昔から本を読むことが好きだったので、小説を読みます。最近は海外ミステリーが多くて、アイスランドの作家・アーナルデュル・インドリダソンが気に入っています。北欧の作品はアメリカのものなどとは違ってどんより暗くて、疲れている時のテンションによく合います。
――仁木さんが感じている在宅ケアのよさについてお聞かせください。
仁木 以前ここで亡くなられた女性の娘さんが挨拶に来てくれたときに、「ここに来てお母さんに戻った」と言ってくださったことがありました。入院していたときは病人だったのが、退院してここで暮らしていくうちに以前のお母さんに戻ったというのがとても嬉しかったです。普通に暮らすというのは小さなことの積み重ねですが、病気や障害で困りごとができてくると小さなことでさえ難しくなります。でも、私たちも含めてみんなで一緒に助け合うと普通の暮らしを取り戻すことができます。そして、それを続けていくなかで、この人はこういうことを考えて暮らしてきたとか、これを幸せと感じているといった価値観などが次第にわかるようになってきて、障害や身体的な衰えなど変えようのないことがあるなかでも、その人が好きなことや感じていること、できる力などを適切なケアで引き出すことができます。そうすると、私たちスタッフが支援しているのではなく、自分の力で生きていると感じられるのです。在宅ケアは、そういう力を引き出すことができるのだと思っています。「とも暮らし」ってすごいと実感しています。
――日本在宅ケアアライアンスへの期待をお願いします。
仁木 看護と介護も含めて在宅ケアに関わるさまざまな人たちが、共通のケアという視点で協働できるようになれたらと思います。
取材・文/坂 弘康
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