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一般社団法人

日本老年医学会


三浦久幸さん・医師

一般社団法人日本老年医学会 代議員・倫理委員会委員

 

【PROFILE】

みうら・ひさゆき

1984年山口大学医学部卒業。1990年より2年間、ドイツゲッティンゲン大学研究員、1993年名古屋大学大学院医学研究科修了。生理学研究所助手を経て、1995年名古屋大学医学部老年科医員。1999年国立療養所中部病院(現国立長寿医療研究センター)赴任、2012年より在宅医療・地域医療連携推進部長を務める。日本臨床倫理学会評議員、日本在宅医療連合学会評議員、日本アドバンス・ケア・プランニング研究会代表理事、JHHCA理事など要職多数。


ストレス研究者から老年内科医に転向 ナショナルセンターの立場で在宅医療を推進

国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)で在宅医療・地域医療連携推進部長を務める三浦久幸さん。同センター内に2009年に設置された在宅医療支援病棟の医長になったことをきっかけに在宅医療推進に関わるようになり、在宅医療連携拠点事業( 2012年)の事務局を担ったことで活動はさらに深化した。終末期医療、移行期ケア、ACPなど様々なテーマで臨床と研究に携わってきたいま、「いずれは1人の医師として在宅医療を実践しなければ」と語る。



老年内科医として終末期医療、意思決定支援に取り組む

――三浦さんのことを老年医学や在宅医療の専門家と思われている方も多いと思いますが、もともとこれらがご専門なのですか。

三浦 実は医学生時代からストレスに強い興味がありまして、医師になって最初に取り組んだのは、血中ホルモンなどを指標としてストレスを定量的に評価する研究でした。当時、先進的な研究をされていた名古屋大学の先生を頼って故郷の山口から名古屋に出てきて、市内の病院で2年間臨床研修。その後、名古屋大学大学院に進み、糖尿病患者さんの診療をしながら、併行してストレスと血糖を上昇させる各種ホルモンの関係について研究しました。ドイツ留学を挟んで大学院を修了し、さらに生理学研究所で約1年半 、脳の研究をしました。臨床的には、糖尿病患者さんが認知症になりやすいということがわかり始めた頃で、こうした観点からも糖尿病の診療や研究は興味深かったです。老年医学の世界に入ったのは生理学研究所を退職して名古屋大学に戻った1995年からです。

 

――国立長寿医療研究センターに移られたのは、前身である国立療養所中部病院時代だそうですね。

三浦 国立療養所中部病院を国立長寿医療センター(2010年より国立長寿医療研究センター)にする、その立ち上げメンバーとして1999年に赴任し、老年内科医としてたくさんの患者さんを診療しました。センター化が実現したのは2004年で、開設前にはセンターとしてのミッションを皆でじっくり話し合い、「長寿」といっても単に長生きを目指すのではなく、いつか最期を迎えるときに、質の高い終末期医療を提供しようという方向性が定まりました。たまたま私が病棟の看護師たちと意思決定支援についての勉強会を重ねていたこともあり、自然に終末期医療推進の中心メンバーになりました。

 それからは競争的資金に応募するなどして資金を確保し、終末期医療の先進国の視察などを積極的に実施しました。まずはイギリス、デンマーク、ドイツ、安楽死協会のあるオランダ。後にアメリカ、オーストラリアにも。そこで痛感したのは、日本の医療が、本人の意思を尊重するかたちにはなっていないということでした。当時、日本の患者さんの終末期のあり方は基本的にご家族の意思によって決められ、本人の意思は示されてもいませんでした。一方で海外ではすでにアドバンス・ディレクティブ(事前指示)によって本人の意思を残すべく法律も整備されていたのです。そこで2007年、職場で独自の事前指示書を作成し使い始めました。国立の医療機関が事前指示書を導入するのは全国初とあって、当時はかなり注目されました。


在宅医療支援病棟医長となり、登録医との顔の見える連携を推進

――在宅医療とのご縁はいつ頃、どのようにできたのですか。

三浦 当センターが設立された頃からです。初代総長に就任された大島伸一先生が在宅医療の旗振り役をされていたので、ご指導いただきながら活動してきました。具体的には、急性期病院としての特徴を生かし、在宅医療に取り組むクリニックの支援から始めようということで、2009年に、センター内の1つの病棟(20床)を在宅医療支援病棟として開設しました。この病棟の医長を任されたことから、仕事の内容が終末期医療の研究・推進から在宅医療支援にシフトしていったのです。

 

――在宅医療支援病棟の仕組みを教えてください。

三浦 在宅医療を受けておられる方々が入院を要する状態になったときにひたすら支援する、というのがこの病棟の役割です。ただ、残念ながら不特定多数を随時受け入れるような体制はつくれなかったので、医師と患者さんを登録制にし、その代わり登録在宅医が入院が必要と判断した登録患者さんについては、目的を問わず必ず受け入れることとしました。登録者数はピーク時で医師が100名余り、患者数は200名程度になり、受け入れた患者さんのうちお看取りとなった人などを除いて90%以上に在宅復帰していただくことができました。病棟立ち上げ前には挨拶と趣旨説明のため、地区医師会や在宅医療に取り組むクリニックを私自身が1件1件訪ねて回りました。その後も地域の先生方とのコミュニケーションは欠かさないように努力しています。時間をかけて信頼関係を築いてきたいま、円滑な連携には顔の見えるコミュニケーションが欠かせないとあらためて実感しています。

 在宅医療支援病棟では、在宅医療に関わる人材の育成や多職種連携の推進などにも取り組みました。病棟を開設してしばらくすると、厚生労働省の方々が見学に来られました。このときに、病院が拠点となって地域の在宅医療を活性化していくかたちは地域づくりの1つのモデルになり得るという考えで一致したのをよく覚えています。在宅医療支援病棟の取り組みを機に、2011年度のモデル事業から始まった在宅医療連携拠点事業では事務局を厚生労働省から受託。自ら全国105カ所の在宅医療拠点をすべて訪問調査し、報告書にまとめまたのは貴重な財産です。在宅医療支援病棟は2018年に一定の役割を終え、地域包括ケア病棟に移行しましたが、約10年間の取り組みもあって、この地域の在宅医療の基盤はかなり強化されたと思っています。

 

――在宅医療支援病棟を閉棟して以降のご活動は?

三浦 移行期ケアが主要なテーマになりました。再入院リスクの高い方々を個別に訪問し、退院後のケアのレベルが下がらないようにする活動です。また、意思決定支援には老年内科医になって以来継続的に取り組んでいます。さらに現在は、新たに在宅医療支援ユニットを開設すべく準備を進めています。今も残っている登録医の方々の、在宅医療支援病棟を再開してほしいというご要望にお応えし、病棟の一部を提供する計画です。

部長を務める在宅医療・地域医療連携推進部の壁には在宅医療連携拠点事業の成果が掲示されている
部長を務める在宅医療・地域医療連携推進部の壁には在宅医療連携拠点事業の成果が掲示されている

在宅医療やACPに活発に取り組む日本老年医学会で活動

――ACPの普及にも尽力されていますね。

三浦 先ほど事前指示書のお話をしましたが、実はこの活動は理想通りにはいかなかったのです。私たちは患者さんたちに、「気持ちは移り変わるのが当たり前。考えが変わったときはいつでも事前指示書を書き換えてください」とお伝えするのですが、実際には考えが変わっても書き換えはあまり進まず、ここに事前指示書の限界を感じました。この限界をどうにか超えたいと考えたときに諸外国を見渡すと、紙に書くのではなく、コミュニケーションを重ねながら患者さんと関係者が一緒に将来の方向性を見出していくACP(Advance Care Planning)という活動が進んでいることに気づきました。そこで2010年にACPに関する素晴らしい論文を発表されたオーストラリアのドクターのところに勉強に行き、成果を持ち帰って、日本国内で普及する活動を始めました。2016年には任意団体の「ACP研究会」を発足させ、2019年には法人化して、講演会や研修会を重ねています。国立長寿医療研究センターとしては、ACPも含めた緩和ケア指針を、非がん疾患、呼吸不全、認知症などテーマごとに作成し、公開しています。

 

――ACPに取り組む医療・介護関係者も増えました。

三浦 ACPという言葉を知っている人は確かに増えました。ただし、先ほど申したように、コミュニケーションを重ねながら患者さんと関係者が一緒に将来の方向性を見出していく、という本来の概念が浸透してきたかというと疑問です。ACPを事前指示や会議のことだと勘違いしている医療者も少なくないのが現状です。また、ご本人の意思を尊重することがACPの基本ですが、日本の場合、どうしてもご家族の意思が優先されがちです。アジア圏独特の考え方も関係しているのでしょうが、個人が自分の人生についてしっかりした意思を持ち、それが実現できるような環境が整うことが望まれます。

 ACPを実践することはご本人だけでなくご家族の納得感という面でも非常に意味があります。たとえば延命治療をする・しないをご家族が決めた場合、どちらを選択したとしても悔やむケースが多くなりますが、ACPを実践できたケースでは、どのような最期になっても、「本人が望んだかたちである」という確信があるから悔やまずに済む。これはエビデンスのある事実です。

 

――ご自身は、ご家族との話し合いはすでに重ねておられますか。

三浦 私自身がどのようにしていきたいかは折に触れて繰り返し家族に話しています。問題は90代半ばになった私の母です。今後どうしたいかを聞いても答えないんですね。答えないということは長く生きたいということだろうと息子なりに解釈してはいますが…。本人の意思を確認しながらそれを支援するというプロセスが一筋縄ではいかないことは、体験的にも感じています。なんとか本来の意味でのACPが実践されるように、この取り組みを次の世代の方々につないでいかなければなりません。

 

――所属されている日本老年医学会でもACPに取り組まれているのでしょうか。

三浦 日本老年医学会は、日本在宅医療連合学会との合同で「高齢者在宅医療・介護サービスガイドライン」を作成(2019年)したり、学会シンポジウムや研修会でも在宅医療を取り上げたりしながら、高齢者の在宅医療をリードしてきました。また、地域包括ケアや在宅医療に関する研究も多彩で、学術面で在宅医療を支える体制もできています。そんな中、2019年に「ACP推進に関する提言」を、2020年に「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行期において高齢者が最善の医療およびケアを受けるための日本老年医学会からの提言―ACP実施のタイミングを考える―」を発表するなどACPに関する活動も活発に展開しています。

 

――日本在宅ケアアライアンス(JHHCA)では理事を務めておられます。個別の学会活動との違いを教えていただけますか。

三浦 日本老年医学会の会員はほとんどが医師ですが、JHHCAは多職種の集まりです。小児在宅や災害時の在宅医療など、テーマごとに設置した小委員会のメンバーも多職種で構成されています。また、日本老年医学会副理事長の飯島勝矢先生が担当されている、在宅医療におけるQOLに関する指標づくりなど独自の研究も進められています。このように立場も職種も違う人たちが集まって多様な活動をすることで、新しい視点が生まれる意義は大きいでしょう。在宅医療の現場から生まれた新しい考えを速やかに国策につなげることができるのも、多彩な人材が揃ったJHHCAならではだと思います。

作成に携わった「高齢者在宅医療・介護サービスガイドライン」を手に
作成に携わった「高齢者在宅医療・介護サービスガイドライン」を手に

医師としての最後の仕事は在宅医療の実践

――仕事以外で熱中していることはありますか

三浦 スポーツ観戦が好きです。特に応援しているのはサッカーの久保建英選手。実力がありながら契約の問題などがあり不遇な時期もありましたが、現在所属しているレアル・ソシエダ(スペイン)に移籍してからは急成長して大活躍です。野球の大谷翔平選手もそうですが、困難に直面してもそれを乗り越えて活躍する。そんなスポーツ選手の姿には人生のドラマを見る思いがして、胸を打たれるし励まされます。大谷選手がホームランを打った日は高齢者施設の入所者たちが笑顔になるといったエピソードを聞くと、ますます面白いなあと思います。

 

――最後に今後のプランをお聞かせください。

三浦 在宅医療支援ユニットの開設など現職での仕事がまだ少し残っていますので、まずはそれを完結させます。その後はどこかの医療機関に所属させてもらって、自ら在宅医療を実践したいと思っています。長年に渡り国立の機関に身を置いて在宅医療を推進しようと呼びかけてきた人間の禊とでも言いましょうか、自分が散々推進してきた在宅医療の実際を、辛さもやりがいも含めて身をもって体験することを、医師としての最後の仕事にできればと思っています。

診療に研究にと忙しい日々を送っている
診療に研究にと忙しい日々を送っている

取材・文/廣石 裕子