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NPO法人

地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク


瀬尾 利加子さん・カタリスト

株式会社瀬尾医療連携事務所 代表取締役

 

【PROFILE】

せお・りかこ

山形県鶴岡市生まれ。高校卒業後一般企業などを経て、2002年1月、鶴岡協立病院に入職、地域医療連携室に配属となる。庄内地域医療連携の会世話人・事務局長、全国連携室ネットワーク連絡会鶴岡事務局、東北7県医療連携実務者協議会代表世話人などを務める。2015年4月、鶴岡協立病院を退職し、株式会社ストローハットに入社。連携コワーキングスペース「みどりまち文庫」を開設し、2017年9月、株式会社瀬尾医療連携事務所を設立、代表取締役として現在にいたる。一般社団法人みどりまち文庫代表理事、鶴岡市総合計画審議会企画専門委員会委員、鶴岡食材を使った嚥下食を考える研究会事務局長などを兼任し、2019年からNPO地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク常任理事。


専門職と市民をつないで良い化学反応を起こすことが役割

事務職として就職した病院で、できたばかりの地域医療連携室に配属された瀬尾利加子さん。これをきっかけに連携業務に携わる事務職員同士の連携からはじまり、医療・介護専門職などとの多職種連携、地域の他業種や行政との連携にと活動の幅を広げていきます。そんな瀬尾さんが心を砕くのが医療・介護の情報を市民に届けること、市民に専門職のことを知ってもらうこと。ご自身は医療・介護のことも市民の意識も理解できることから、専門職と市民のよき触媒(カタリスト)となることを目指しています。


困りごとや悩みが連携のきっかけになる

――医療・介護専門職の資格をお持ちではないとのことですが、医療や介護に関わるようになったきっかけはどういったことでしたか。

瀬尾 医療などには全く関係のない地元・山形県鶴岡市の工業高校を卒業し、縁があって事務職として病院に勤めることになりました。配属になったのが偶然、地域医療連携室だったことが、その後、地域医療や在宅ケアに関わるきっかけになりました。その当時は、医療連携や多職種連携といった言葉はあまり知られておらず、診療報酬で誘導されて全国的に地域医療連携室ができはじめた時代です。

 

──事務職としてどのような仕事されていたのですか。

瀬尾 業務の内容も手探りの時代で、実際には入退院や外来予約の相談などをしていました。入退院の相談をしていると、他の病院の連携業務の人のことをよく知らないので遠慮がちに電話して相談したり、患者さんの情報がうまく伝わっていないといった問題が明らかになってきて、それならば集まって情報交換しましょうと、近隣の連携業務の人が自然発生的に集まり「庄内地域医療連携の会」ができました。私は会の世話人や事務局長を引き受けました。そこで意見交換をすると、皆同じようなことで困っていることがわかり、患者さんの情報共有がスムーズになるように入退院シートを皆の意見で作ったり、各医療機関の情報を冊子にして共有したりという活動につながりました。

 

──同じ立場の人たちの連携ができてきたのですね。

瀬尾 任意の集まりではありましたが、多くの人が参加したのは皆が困っていたからです。顔をつきあわせて業務上の問題を出し合い、どうしたらうまくいくかなどを話し合えたのは大きな成果でした。情報シートなどは今でこそ当たり前になりましたが、当時は誰もやっていないことをみんなで一緒に作ったのです。

 

──連携業務のモデルがないなかで、どうやって方向性を探っていったのですか。

瀬尾 新しいことに取り組むには、まずは他の連携実務者の実践に学ぶことが大切になります。庄内地域よりもさらに広くから知見を得たいわけですが、同じようなことを考えていた人が全国にいて「全国連携室ネットワーク」という任意団体ができ参加しました。全国の連携実務者とつながる機会ができると、そこから持ち帰った情報を自分の地域でやってみて、うまくいかないことがあれば全国の実務者に聞いてみるという助け合いのなかで活動していきました。この当時は、本当に何もないところから皆で立ち上げていったというのが面白かったですね。当時の連携担当事務職員が今は事務長とか本部長とか随分偉くなっていて、現在の私の仕事を応援してくれています。

 

──同じ専門資格があれば共有できることも多いと思いますが、バックグラウンドが違う人たちとネットワークを作っていくのは難しかったのではないですか。

瀬尾 他人と知り合いたいとか、多くの人の意見を聞きたいというのは、日常業務で困っている経験が動機になるのだと思います。医師でも看護師でも、患者さんを自分の力、自分のチームの力できちんと対応できていると思えば、より広く連携を求める必要はないわけです。この当時も、連携実務者の会に声をかけても、「患者さんを入院させてくれる紹介先はあるので他の施設の実務者と知り合いになる必要性を感じません」と断られたことがありました。それ自体を悪いとは思わないのですが、自身の業務で困っていたり、もっと何かできないかと悩んでいたり、さらに良くする方法を求めていたりといったことがあって初めて他の組織と連携しようと考えるのです。

 

──一人ひとりの意識あるいは姿勢の問題ということですね。いま現在でも地域連携、多職種連携は大きな課題ですが、その根っこにはこうした問題があるかもしれませんね。


医療・介護を包摂する社会連携を目指して独立

――医療機関の連携実務者として活動が広がっていきました。

瀬尾 東北7県医療連携実務者協議会の代表世話人として連携実務者向けの勉強会を開いたり、多職種連携では訪問薬剤指導が鶴岡市では全く進んでいかない中で、薬剤師と勉強会を始めて一緒に進めていく活動をしたり、国のプロジェクトであった南庄内緩和ケア推進協議会では、地域連携ワーキンググループの委員やリーダーを仰せつかったりと活動の幅が広がっていきました。

 

――その結果として、独立することになるのですか。

瀬尾 13年間医療機関の地域連携実務者としてやってきて強く感じたことが三つありました。

一つは、多職種が集まる事例検討会を開くと、医師との連携や情報共有といった課題とは異なる、例えば患者さんを送り迎えするのにタクシーが来ない、運転手さんがいないという問題や、患者さんが退院して自宅に戻っても見守りがないといった問題があがりますが、同じことは10年前から議論されており何も変わっていないのが現実です。多職種連携の会議では、「困ったね、こうなったらいいね」で終わってしまい、次の日からは今まで通りの毎日です。つまり、医療介護従事者では対応できない問題は地域の別の職種の人と話し合わないと解決できないのに、それができずに、問題を指摘するだけになってしまいます。こうして医療介護従事者も含めた社会全体の連携の場が必要ではないかと思ったことが医療機関を辞めた理由の一つです。

一方で、200人、300人規模の多職種連携の講演会や勉強会を何度も開きましたが、効果に期待が持てなくなっていました。参加者がその時はいい話を聞いたと満足しても、翌日からはいつもの業務をこなして、結局次の機会も前と同じ問題を議論するというようになっていました。そこで、もっと少ない人数で本気の人たちだけで取り組む場をつくりたいという思いが強くなったことが二つ目の理由です。

さらに市民の啓発についてです。医療機関にいたころから市民への疾病の啓発に取り組んでいたつもりでしたが、講演会などに多くの市民を集めるのは難しいし、実際に一般の人に医療の情報が届いていないことを痛感する事例を経験しました。施設に入っていて意識がない患者さんに胃ろうをつけることを決めたご家族が、いざそのために入院してきた段階で、「私が親の生死を決めていいのだろうか、自分には決められない」と言って泣いていたのです。医師から事前に説明があったでしょうし、得ようとすれば情報はたくさんあるはずなのに、それがご家族には届いていないということを感じました。

こうしたことから、医療機関という組織を離れて地域で活動してみようと、専門職ではないからかえってできることがあるのではないかと思ったんです。

 

――退職後に、ストローハットという会社に入社されました。

瀬尾 医療・福祉分野のシステム構築などをしている会社で社長とは昔からの知り合いで、私の考えを理解して迎え入れてくれました。そこで始めたのが「みどりまち文庫」です。医療やヘルスケアに関する本を数多く用意しているので「文庫」ですが、会員になれば誰でも使えるコワーキングスペースといったところです。仕事や打合せに使うことも、文庫で開催するセミナーにも参加できます。一般市民と医療従事者が出会って話し合う場所としてつくりました。現在、会員は約150名で医師をはじめ医療、福祉の専門職に税理士や製造業、金融業など幅広く、オンラインサービスも充実しているので鶴岡市だけでなく東京や大阪といった他地域からの参加もあります。

 

――その後に独り立ちして、さらに活動の幅を広げていきます。

瀬尾 「みどりまち文庫」を作ったところ、ストローハットの社長から一人のほうがやりやすいだろうと言われて、株式会社瀬尾医療連携事務所を立ち上げることになりました。地域の多職種連携ネットワークの立ち上げや運営のサポート、研修企画や講演などを事業としており、組織自体は一人で運営しています。

 


鶴岡市地域医療市民勉強会での講演
鶴岡市地域医療市民勉強会での講演

嚥下食を提供する飲食店のある町づくり

――独立して気がついたことはありますか。

瀬尾 医療機関に勤めているときは終日その中にいたのでわからなかったのですが、実際に地域に出てみると日中の町なかは高齢の人しか歩いていません。飲食店も同様でした。もっと市民のことを知らなければいけないと思い、鶴岡市の政策を改めて調べたところ、町づくりや商店街の活性化、特にこの地域は食文化が進んでいるので食文化関連に力を入れていることがわかり、そうしたイベントなどにも出かけてその分野の人とつながりを持つような努力をしました。

 

――嚥下食についてユニークな取り組みをされているとお聞きしました。

瀬尾 知人の管理栄養士とつくった「食と栄養を考える会」の議論で、「嚥下障害があっても外食ができる」「地元鶴岡の季節の食材を使った嚥下食を食べられる場所がほしい」という管理栄養士たちの夢があり、協力してくれる飲食店を探し始めました。現実にはなかなか見つかりませんでしたが、8年めくらいに1人のシェフがスイーツで始めてくれ、その後協力してくれる日本料理人が現れて、医療職と一緒に料理を研究して実際に温泉旅館で提供できるようになりました。嚥下食の柔らかさなどの内容や、窒息の心配について医療職にもサポートしてもらい、今では旅館も含めて和洋食の7店舗が嚥下食を提供しています。なかには子ども向けの嚥下食を提供している店もあります。料理人には独自のネットワークがあるので、そこからの協力も得られるようになりました。

 

――医療や福祉の専門職も関係しながら飲食店や料理人のネットワークとも連携していったということですね。

瀬尾 最近では山形県水産研究所や鶴岡市の食文化担当部署も注目してくれています。普段外食できない人が嚥下食で外食ができて喜ばれるというのはもちろんですが、温泉旅館には他県から旅行者として来て、その後リピーターになってくれる人もいるので、観光や地域産業の振興にも可能性があります。単に飲食店が嚥下食を提供するだけではなく、医療関係者や行政とも協力して複数の飲食店で嚥下食を提供している地域であることが評価されています。


市民に医療・介護への関心を持ってもらう

――行政との関わりはその後もつづきます。

瀬尾 鶴岡市の担当者のなかに顔なじみが増えていましたし、そんなご縁もあったのか「地域医療を考える市民委員会」が立ち上がったときに委員として参加し、委員長を3年間させていただきました。ここでは、3つの市民アクションとして「地域医療の連携の仕組みを理解しよう」「自分たちが受けたい医療を考えよう」「ともに考え、行動する仲間になろう」を打ち出して、10年間のアクションプランを示しました。その一環として令和4年度から「地域医療を学ぶ市民勉強会」を開催しています。

 

――市民の方々の反応はいかがですか。

瀬尾 健康な人は医療などに興味がないのが現実です。医療に関する市民向けイベントを開催しても人を集めるのは大変難しいです。それでも一人ひとりと話をしてみると関心がないわけではなく、親戚が亡くなったときの病院の対応への不満といったことが出てきます。医療専門職の方々は勉強熱心で最新の知識と技術を持っていて、それを患者に提供するために頑張っている。市民はそういったことを知らずに苦情を言っているというのはとても残念です。お互いにいいサービスの提供につなげるには、医療専門職には市民はわかっていないということを前提として対応してもらいたいですが、その一方で市民の側の知識量、情報量を増やしてくことも重要だと思っています。そこで、図書館や温泉などでの市民への啓発活動を始めました。酒田市での例ですが、理学療法士や看護師が健康に関するイベントを開く際に、図書館で関連書籍を目立つように展示して貸し出したり勉強会を開いたりしています。他の目的で図書館に来た人が目にする機会になっています。山形県戸沢村にある健康増進施設でもある日帰り温泉ではヘルスケア関連の展示を毎月してもらっています。2024年は初めて健康マルシェを企画してくれたので、仲間と参加し大変好評でした。鶴岡市では看護師の他にも薬剤師や管理栄養士、歯科衛生士などとお祭りにブースを出しています。現実にはお祭りに健康情報の提供といっても興味を持たれません。ただ、健康チェックならば関心が高いようで、血圧測定やフレイルチェック、ガムを利用したお口チェックなどを行って立ち寄ってもらうなど試行錯誤をしています。

 

――地道な活動を続けていらっしゃるのですね。

瀬尾 こうしたことを10年以上やっていると、医療や介護のことを相談してくれる一般の方が少しずつ増えてきました。50代、60代の人からは、例えば自分の親が弱ってきて地域包括支援センターに相談してもいいアイデアがもらえなかったがどうしたらいいだろうといった相談をされるようになってきました。

 

――市民の間にも活動が認められてきたということですね。

瀬尾 病院に勤めていたので治療や検査のことも多少はわかりますし、市民と一緒に活動もしているのでその立場もわかるということから、自分は橋渡し的な役割と思っています。自分では「カタリスト」、つまり「触媒的人材」と呼んでいます。カタリストとは化学用語で「触媒」のことで、自分自身は変化せずに化学反応を促進するものです。専門職と市民をつないで良い化学反応を起こすのが自分の役割だと考えているのです。専門職あるいは市民のどちらにも言い分はあるのでどちらかに偏るのではなく、うまい具合に反応させていきたいという思いがあります。

出張などの合間をぬって、神社の狛犬を撮影するのが趣味
出張などの合間をぬって、神社の狛犬を撮影するのが趣味

市民に専門職のことが伝わる取り組みを期待

――日本在宅ケアアライアンスの加盟団体であるNPO地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワークの常任理事でもいらっしゃいます。

瀬尾 2019年ころから関わっています。医療や介護の地域共生には専門職だけでなく一般市民や企業なども関わっていくべきという考え方のもとで、「市民枠」として入れてもらったようです。

 

――今年は大会長を務められるそうですね。

瀬尾 医療や介護系のセッションばかりにならないように、市民に実行委員になってもらい地域連携や地域共生についてさまざまな背景を持つ人で考えていきたいです。高齢化が進むなかで鶴岡市での取り組みを多くの人に知っていただきつつ、他の地域での取り組みに触れられる場にしたいと考えています。鶴岡市は人口11万人で大きなホールがあるわけでもないので、小規模でもアットホームで楽しい大会にしたいと思います。(※)

 

――日本在宅ケアアライアンスをはじめ医療・介護専門職の団体などへの期待はありますか。

瀬尾 2専門職の勉強熱心なところ、その膨大な知識と技術について尊敬の念を持っています。一方で市民は、そうしたことは理解せずに苦情や後悔を専門職のせいにしたりするのがとても残念です。専門職の方々は市民と出会える場があればいいとは思っても業務が忙しかったりしてそういう場にはなかなか出られないのが現実です。組織として、専門職のことが市民にも伝わるような仕組みやアイデアに取り組んでいただけたらと思います。

 

(※)

大会名:NPO地域共生を考える医療・介護・市民全国ネットワーク第4回全国の集いin鶴岡2025 

日 時:2025年10月12日(日)〜13日(祝)

テーマ:楽しく悩め! 地方発・一歩先の地域共生モデル              

    〜医療・介護・福祉の仲間たち、市民も企業もお役所も。知恵を絞って考えよう〜

会 場:マリカ東館・西館(山形県鶴岡市末広町3−1)

取材・文/坂 弘康