第17回 |
一般社団法人
日本在宅療養支援病院連絡協議会
梶原 崇弘さん・医師
医療法人弘仁会理事長・医療法人弘仁会 板倉病院 院長
【PROFILE】
かじわら・たかひろ
2000年日本大学医学部卒業、消化器外科入局。2003年より国立がんセンター中央病院肝胆膵外科などでがん領域専門の消化器外科医として活躍。2012年医療法人弘仁会板倉病院院長、2020年医療法人弘仁会理事長。千葉県医師会代議員、船橋市医師会副会長、船橋南部在宅療養研究会理事、船橋ドクターカー連絡協議会会長など要職多数。日本在宅療養支援病院連絡協議会副会長、日本在宅ケアアライアンス学術委員。日本大学医学部臨床准教授も務める。著書に「病院が地域をデザインする」など。
2022年6月、一般社団法人日本在宅療養支援病院連絡協議会が設立された。梶原崇弘さんはその設立メンバーの1人で、現在は同会副会長を務めている。国立がんセンター中央病院はじめ高度医療機関に勤務し、膵臓がん手術では日本でトップクラスの件数を誇るなど消化器外科医として活躍していた39歳の時に、父親である梶原優・現弘仁会会長に請われて板倉病院院長に。これを機にがん医療から地域医療へと活動の場を移した。法人理事長となってからも外来診療を担当し、関連事業所の運営も担いながら、在宅療養支援病院を中心とした地域づくりに取り組んでいる。
――医学部卒業後は大学病院など高度医療機関に外科医としてお勤めだったそうですね。
梶原 父と同じ日本大学医学部消化器外科の出身で、卒業後は長く国立がんセンター中央病院に勤務していました。専門領域は肝胆膵外科で、24時間がんのことを考え、手術に明け暮れる毎日を送っていました。
──そんながんのスペシャリストがなぜ地域の民間病院に赴任されたのでしょう。
梶原 実はいま勤務している板倉病院(千葉県船橋市)は、私の母方の祖父、板倉岩男が1940年に船橋外科病院として開業した、いわば私の実家なのです。その後、父である梶原優に受け継がれ、私は2012年、39歳の時に創業家としては3代目の院長になりました。当時、外科医としての日々はとても充実していましたし、周囲にも「やめるのはもったいない」と言ってくれる人が多かったのですが、父の「帰って来てくれ」の言葉に、迷うことなく実家に戻ることを決めました。父に頼まれごとをされたのは、おそらくこの時が初めてだったと思います。もともと子どもの頃から祖父や父の姿を見ていて、ゆくゆくは継ぐことになると思っていましたし、船橋に育てていただいたという地域への感謝の気持ちはいまも持ち続けています。頼まれたら「はい」か「イエス」か「わかりました」しか言わない外科医気質(笑)でもありますし、すぐに気持ちを切り替えることができました。
「矩(のり)を踰(こ)えず(正道から外れないの意)」という言葉がありますが、病院も、それぞれの機能を発揮するためにも矩を踰えないことが大事だと思っています。板倉病院は地域密着型の病院であり、高度ながん手術は当院の役割ではありません。ですから私も、板倉病院に来てからはすっかり路線変更し、医師会活動や行政とのネットワーク強化などに力を入れています。
――在宅医療との出会いも船橋に戻られてからということですか。
梶原 そうです。医師になって間もない頃に、アルバイト先の医療機関で往診を経験したことはありましたが、在宅医療が身近になったのは板倉病院に来てからです。
――板倉病院の在宅への取り組みについてご紹介いただけますか。
梶原 私の前々院長にあたる永谷計(はかる)先生が、在宅医療の黎明期と言われた頃から訪問診療に取り組まれ、通院困難になったかかりつけ患者さんの元へ顔馴染みの医師が出向き、その人らしい生活をサポートする、そして、必要な時にはいつでも入院していただくという、当院の訪問活動のベースをつくってくれました。まさに「ほぼ在宅、ときどき入院」の実践です。現在は久野慎一先生が引き継がれて訪問診療部を組織し、訪問看護ステーションなど関連事業所と連携して在宅医療を展開しています。久野先生は前院長で患者さんからの信頼も厚く、地域の在宅患者さんからも「久野先生が来てくれる!」と喜んでいただいています。私自身は、訪問診療は担当していませんが、在宅医療もACPも外来の時から始まっていると考えています。高齢の外来患者さんなどとは折に触れて、「通えなくなったらどうしようか」といった話をし、早めにソーシャルワーカーや訪問看護師に介入してもらうなど、患者さんに安心感を持って自然に在宅移行していただけるように努めています。
永谷先生は、地域のケアマネジャーを中心に2007年から活発に活動している「船橋南部在宅療養研究会」の発起人でもあります。当時から在宅医療を実践しつつ地域包括ケアシステム構築の重要性を説き、多職種連携、施設間連携を推進されました。同会会長も、現在は久野先生が務めておられます。そういう意味では、当院は在宅医療の面でも地域をリードしていると言えると思います。
――船橋市というと、「船橋在宅医療ひまわりネットワーク」が有名ですね。
梶原 ひまわりネットワークは、「医療・介護関係者が行政機能を活用しつつ主体的に活動する団体」として2013年から活動しています。現在は23団体が加盟していて、行政、保健所、医師会も積極的に参加しています。私が思うに、これら三者の仲の良さで言ったら船橋市は全国一ではないでしょうか。それくらい密に連携して、ともに地域づくりを進めています。私はこのネットワークの立ち上げから加わり、患者さんご本人の情報や緊急時の対応方法などについて、「ひまわりシート」と名付けた用紙にあらかじめ記入し、専用のケースに入れて自宅の冷蔵庫の中に保管することで、緊急時に適切に対応できるようにする仕組みを考案しました。この仕組みを広めるために、地域のキーパーソンに直接会って説明するなど営業活動のようなことも行いました。人と話すのは大好きなので、外回りも結構楽しめます。
がん患者さんとの関わりを通して、人間関係は最初が大事だと学びました。患者さんに初めて会った時に病状や方針をしっかり説明し信頼を得られれば、その後のコミュニケーションはうまくいきます。地域の方々とも、初対面の時に腹を割って話すことが重要と考え実践しています。こうして社会福祉協議会などの協力も取り付けたことで「ひまわりシート」は急速に浸透し、救急医療の円滑な運用につながりました。コロナ禍で少し低迷しましたが、昨年度から周知活動を再開し活用を推進しています。
――経営者の立場で見た船橋市とは、どのような地域でしょうか。
梶原 大変魅力的だと思います。船橋市は東京に近い大きな都市です。人口は約64万8,000人(2025年1月1日時点)で現在も増加傾向。高齢化率は徐々に上がってはいるものの2023年のデータで24.0%と全国平均よりかなり低くなっています。これらのデータから読み取れるのは、今後も病院を利用される方の絶対数は増えていくということです。その中にあって当院は、創立85年を迎えた船橋市で最も古い病院であり、船橋駅の南側の地域は当院の“島”とも言える環境です。つまり、ある程度テリトリーが定まった中で、多くの患者さんにご利用いただけているので、利益を上げるために無理をしなくても、良い取り組みをすることで患者さんに喜んでいただき経営も安定するという好循環が可能です。
ただし、二次医療機関が市内に9件しかない、ケアマネジャーが圧倒的に少ないなどリソース不足は大きな課題です。ひまわりネットワークに代表されるように、関係者の活動は活発で円滑ではあっても、担い手が足りないために、大量のニーズをどうさばくかという悩みはあります。この問題をどうするかが船橋地域の長年の課題です。
――日本在宅療養支援病院連絡協議会ではどのような役割を担っておられますか。
梶原 日本在宅療養支援病院連絡協議会(在病協)は、2022年6月にできたばかりの団体で、私は会長の鈴木邦彦先生と一緒に、この会を発足したメンバーの1人です。同会設立の目的は、在宅療養支援病院(在支病)の機能を充実させ、地域医療に貢献するために必要なさまざまな取り組みを行うこと、公的に認められた中小病院唯一の病院機能である在支病の団体として政策提言などを行っていくことです。全国在宅療養支援診療所(在支診)は早くから全国組織をつくって活動していましたが、病院の方は組織化が遅れていました。それが2022年になってやっと正式な団体が誕生したのです。鈴木先生は、日本医師会名誉会長の横倉義武先生や、元日本医師会副会長の私の父とも親しく、その関係で、横倉先生の息子の横倉義典先生と私、ダブル息子に声がかかり、ここでも二つ返事で参加させていただきました。当初は、全日本病院協会副会長の織田正道先生が副会長を務めておられたのですが、役員改選を機に世代交代が進められ、私たちの世代が副会長に就任しました。
同会での私の役割はいろいろですが、現在は主に、地域連携に関する調査などを担当しています。また、周知の通り、前々回の診療報酬改定で、それまで同一だった在支診と在支病の施設基準の一部が分かれたのですが、あの時、在支病の新しい基準の素案をつくったのは私で、その素案はほぼそのまま採用されています。
――新しい施設基準のポイントはどんなことですか。
梶原 在宅患者受け入れのための病床を常に確保すること、在支診などの要請により緊急受入を行った実績が一定数以上あることなどです。在支診の支援をすることが在支病の大事な役割ですから、その部分を明確にしました。ここで示した件数などは、もちろんしっかりしたエビデンスに基づいています。後方病院としての実績がない病院は届出をすることはできませんが、比較的クリアしやすい要件にすることで、これからの時代、ますます必要になる在支病の機能が充実することを狙っています。
制度に関してのトピックスとしては、2024年度の介護報酬改定で、特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)と医療機関との連携体制構築が義務化されたことがあります。2027年度からの完全実施に向けて、介護施設から不安の声が上がっていますので、在病協としては、そうした声に応えることも使命と考え、現在、ワーキンググループをつくって介護施設向けにアンケート調査を行うなど、どうしたらより良い連携体制が築けるのか調査研究を進めています。
――ところで、梶原さんが経営に参加されるようになって以来、弘仁会の活動にはユニークなものが目立つようになりましたね。
梶原 板倉病院で「お酒の飲み方教室」を実施して1日1合以下で楽しくお酒を飲む方法を提案したり、子ども食堂「いたくらごはんLABO」を地域交流の場として幅広い人々に開放したり。2024年10月に竣工したばかりのロータスケアセンター(老健)では一つ屋根の下に保育園を併設し、高齢者と子どもの交流を促したり、ガーデニングや野菜作りなど役割を持って参加できるデイサービスを運営したりしています。ロータスケアセンターには多目的ルームもあり、地域の人の交流の場としても使っていただけます。このほか、板倉病院が全面的にバックアップすることで、夜間訪問のない訪問看護ステーションも実現しました。地域住民の方々同様、従業員も大切にしたいと思っています。要は良いと思うことをできるだけ実現しているわけですが、目指しているのは、病院や施設を、何かあってから初めて利用する場ではなく、健康づくりに関心のない人も含めて普段から気軽に市民が訪れるコミュニティの場に育てることです。こうして地域のつながりを強固にし、そのつながりをベースに地域包括ケアを推進したいと思っています。
――活動の内容や意図は、ご著書「病院が地域をデザインする」に詳しく書かれていますね。
梶原 疾病構造や人口動態の変化により、病院や医療に求められる役割は大きく変わってきています。当法人の取り組みがそうした変化に対応するための参考になればと思って頑張って書きました。
――多忙を極める日々かと思いますが、気分転換には何をされていますか。
梶原 理が好きで、時々つくって家族に振る舞っています。いろいろな人と会うのが楽しくてよく一緒に外食するのですが、その時に美味しかったものを、材料や調味料を想像して再現するのが好きです。料理は実験に似ています。うまく再現できたり、違う味になったりするのも面白い。仕事を忘れて集中できて良い息抜きになっています。
――最後に、日本在宅ケアアライアンスへのご意見をお願いします。
梶原 日本在宅ケアアライアンスには学術委員として参加し、毎月のように皆さんと情報交換しています。いろいろなアイデアを持った多職種の方々と一緒に活動できるのは楽しく刺激的です。できたら今後は、専門職だけでなく一般市民の方々を対象とした活動もされてはどうかと思います。具体的な案はまだないのですが、たとえばACPについて考える機会を提供するなど、一般の人の意識を変えるような働きかけにも目を向けていけたらと思います。
取材・文/廣石 祐子
一般社団法人 日本在宅ケアアライアンス
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